夏のおわり
ここのところ涼しいですね。
半袖じゃもう寒い。
夏も、そろそろおわり。
このあいだ、いとこと話していました。
春や秋は、さみしいと。
秋は、生き生きと緑だった葉が赤く染まって、だんだん薄れて枯れていく。
その様はとても綺麗だけど、やはり終わりに向かっていくのがわかるからか、わかりやすく、さみしい。
春はというと、昔は春にさみしいと感じることはあまりなかった。
それは多分、小さい頃は「別れ」という感覚がなくて、あるのはいつも「出会い」と「始まり」だったからだと思います。
それが、歳を重ねるにつれて、色々なことがわかってくる。
受験があって、やがて自分も卒業しなければならないこと。
友達と離れ離れになること。
新しい生活。
圧倒的に増える自由な時間。同時に背負う責任。
前観た映画を、違った視点で観れるようになったり。
友達の輪が広がって、自分の考え方や感じ方と違う人間を前にして、刺激を受けたり。
お酒を覚えたり。手ぇ突っ込んで吐くこと覚えたり。
「記憶失くして気づいたらベンチで寝てたわ~」
言いたいだけだったり。
恋人ができたり。
誰かと真剣に付き合うことのむずかしさを知ったり。
でも、心が通い合うことの嬉しさと切なさも知ったり。
だれそれが亡くなって、あぁ人はいつか必ず死ぬんだって理解して、人知れずこわくなったり。
年上の人と話す機会が増えたり。
電車で楽しそうに騒いでる学生も、今が青春なんだと、多少の騒ぎは許せたり・・
そうして、本当に色々なことを感じられるようになった今、
春は心浮かれるのと同時に、さみしく、切ない季節だと感じます。
毎年当たり前に咲いていた桜。
ある人には、来年はもう見られないかもしれない桜。
桜は、春の喜びと切なさの象徴のような気がします。
ところが、いとこは、「夏のほうがさみしい」と言います。
「?」と思う方がどれくらいるでしょうか。
夏の午後、少し陽が傾いて
道端にはセミの死骸。
道行く人は少なく
エネルギーに満ち溢れていた夏のおわり
秋のさみしさとも違う
春の切なさとも違う
夏、特有のさみしさ。
こうして、「季節を感じる」ようになったのは20代になってから。
季節を感じるには、それなりの年月と様々な経験が必要だということでしょう。
夏のおわり。
秋のはじまり。
うーん。
好な季節が、はじまる。