染まる
- cormari
- 2015年11月15日
- 読了時間: 2分
父が日ごろからお世話になっていた方が、亡くなりました。
末期癌で、気づいた時には手術も抗がん剤の投与もできない状態。
父がお見舞いに行くと、ご自身で自分の状態を冷静に話されたそうです。
お葬式は、9日だったと聞いています。
その、お葬式。
キリスト教式の、お葬式だとか。
亡くなったMさんは、クリスチャンではありませんでした。
では、なぜか。
彼の奥さんが、クリスチャンだったのです。
クリスチャンではない人が、キリスト教のお葬式をあげるためには、 その前に『洗礼』を受ける必要があるそうです。
Mさんは、亡くなる前に、洗礼を受けました。
勝手な解釈ですが
きっと、最期に、奥さんと『一緒』になりたかったのではないでしょうか。
そしてそれは、彼が奥さんを、愛していたから。
奥さんと、同じになりたい。
そういう想いだったのではないでしょうか。
人は、誰かを好きになると、その人の癖や話し方、趣味など
その人を形成している様々なものに興味をもつもの。
彼がスノーボードをするから、自分もはじめてみた。
彼が音楽が好きで、その影響で色々な音楽を聴くようになった、とか。
相手の色に染まる、染まらないなんて表現がありますが
染まらないのも、ひとつのカタチ。
悪いことではない。
でも、相手が好きで、相手を知りたくて、相手の色に染まっていく
そんな恋愛も、私は素敵だなと、思います。
Mさんは、最期に、奥さんと同じに、一緒に、なりたかった。
同じという表現がよくなければ、最期に、奥さんに寄り添いたかった。こうでしょうか。
このエピソードを聞いたとき、とてもすてきで、切ない話だと思いました。
洗礼を受けて、奥さんと同じクリスチャンになって、亡くなったMさん。
父が、お世話になりました。
誰に頼まれたわけでもなく、町の草むしりをしてくれていた、Mさん。
天国と地獄なんてものがあるのなら、どうか、天国で、安らかに眠っていただきたいです。
『明日のことは誰にもわからない。 今日一日を大事に生きような』
父のメール。
私は今日一日、しっかりと生きれただろうか。
少し振り返る、そんな夜。
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